工事中私は、実は相談されることが仕事の一部です。(答えることも仕事の一部ですが、正解を答えることは能力の域を超えています) 私に相談する個人および法人も、奇特な方々です。 私を信用でもしているのでしょうか。 (私を信用するなんて、私には怖くて出来ないところです) ところで、人間には二種類あります。 人から信用されないタイプと、空を飛べるタイプです。 (自分は信用されるタイプだと考える人がいるかも知れないが、そう考えるだけで、すでに信用できない) かりに、厚い信用を得ている人が、 「誰も見ていない時は百メートルを五秒で走れる」 とか、 「古代史を書き換えるほどの歴史上の大発見をした。ただし内容は誰にも話すつもりはない」 と主張したら、例えそれが本当の事であっても、誰からも信用されないでしょう。 人が見ていない時に限って百メートルを五秒で走れたり、空を飛んだり出来る、という経験を実際にしたが最後、誰からも信用されない人間になってしまうのです。 信用されようと思ったら、万が一のことを考えて、人が見ていない所で走ったり、空を飛んだりしないようにするしかありません。 私は信用されない事では人後に落ちませんが、これは私の人間性によるものではなく、私が特殊な経験をすることが多いからです。 例えば、金の使い道を税務署に追求されたとき、 「かわいそうなマッチ売りの少女にあげた」 とか、 「宇宙人に恐喝された」 「知らないうちに突然お金が消滅した」 と、いくら説明しても信じてもらえません。 私が何を経験したかは、本人の私が一番よく知っているはずなのに、実際に何が起こったかを、不当にも他人が決め付けていて、私の証言は何の参考にさえされずに税金を払わされるのです。 しかし、これを応用すれば、信用される人間になるのは簡単です。 かりに私が、 「人に見られた事はないが、百メートル走るのに、どうしても二十秒以上かかってしまう」 とか、 「誰も知らないが、実は女好きだ」 と主張したら、私を知らない人でも私の話を信用するでしょう。 (こういう場合「主張する」よりも「内緒で打ち明ける」方が効果的です) このように他人に信用されるような事だけ話すようにすれば、信用される人間になることができます。 しかし問題はそれほど簡単ではありません。 普通の大人が、 「わたしは足し算ができる」 とか、 「ドアの開け方を知っている」 と主張したら、別の意味で信用を失う恐れがあります。 また、 「昨日万引きした」 とか、 「時々うそをついている」 と話せば、話は信用されるかも知れませんが、信用できない人間とみなされるでしょう。 また、 「うそじゃない」 とか、 「絶対に本当だ」 といった発言を連発するのも禁物です。 「天気予報をテレビで見た。これはウソじゃない。命をかけてもいい」 といった発言を繰り返していると、何を言っても信用されなくなります。 一般に真実である事を強調しても効果はありません。 説得力が増すわけではなく、逆に信用を失う恐れがあります。 その他、信用を失いやすい発言として、 「おれは詐欺の常習者だ」 とか、 「おれは哲学者だ」 「おれはマッケンジー」 などがあります。 これらの事に注意して信用される発言を心がけ、特殊な経験をしないように気をつければ、信用されるのは簡単です。 人格まで改造する必要はありません。 しかし、同じ事を喋っても、私が喋ると信用されないのはどういう訳でしょうか。 先日もある女性との約束に遅刻したとき、 「チンピラにからまれていた女の子を助けていた」 と言っても信じてもらえませんでした。 どうして信じるくらいの事ができないのでしょう。 信じると何か損をするのでしょうか。 「あなたが女の子にからんでたんじゃないですか」 と言われました。 ここまで信じてもらえないのです。 本当に女の子を助けたんじゃなくて良かった。 ジャンル別一覧
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